地球初! 宇宙人が撮影した「モコモコ系メタSF映画」ここに誕生!

遠い星からやってきたモコモコ星人は、神を探す長い旅を経て地球にたどり着いた。母船が壊れ帰れなくなった彼らは、とある町の人々をカメラとマイクで観察 しはじめた。人間のように「わたし」と「あなた」という概念がない彼らは、いつしか町の人々が直面している「わたしはあなたではない」という近代人間的事 実に直面する―。果たしてモコモコ星人は「神」と出会うことができるのか。

 

『私は猫ストーカー』、『ゲゲゲの女房』、『楽隊のうさぎ』といった話題の長編映画を監督する一方、先鋭的なインディペンデント映画を精力的に発表し続け る鈴木卓爾。待望の最新作は、3年がかりの初のオリジナル長編。カメラやマイクを握る俳優たちと監督が一丸となって挑んだリアルで自由な活劇フィクショ ン。地球人と宇宙人が入り乱れて織りなすドタバタ青春群像は、不思議なポリフォニーとなって、やがて魂を震わすコーラスを奏で始める。

 

映画の現在を更新する前代未聞の革新的メタSF大作がここに誕生した!いまこそ映画を問い直す。ここではないどこかではなく、自分たちが生きるこの世界を信じるために。




『ジョギング渡り鳥』について  監督 鈴木卓爾

 2011年5月、大きな地震と大きな事故の後に、それでも始まった映画美学校の「アクターズ・コース第1期」。若い俳優達の講師として、私が一年後に気づ いた彼らの最大の魅力は、彼ら俳優としての個々の存在感の成長もさることながら、他者との間に涌き立つコンビネーションの良さでした。誰か一人を選んで俳 優として映画のまなざしで見つめるより、この集団の中に起きる魅力的な調和の可能性を群像劇として作品に出来ないか? という問い、それが、『ジョギング渡り鳥』の発想の最初でした。この映画作りは同時に、原子力発電所の事故という未曾有の事態と、その後未だ収束しない事 態の進行下に、現在も東京で暮らしているというリアリティーが、彼らの身体から滲み出るということと、けして無縁ではありませんでした。今、私達は、第二 次世界大戦後70年を経て、ほとんど初めて居場所に対する不安というものに突き当たったのだと思います。


空を飛ぶ渡り鳥に自分を重ね、毎日ジョギングを続ける「純子」達の居る入鳥野町の世界を、現実的事実を映画の領域から告発するということではなく、しっか りした物語軸で葛藤を描くというのともちょっと違い、利用され続け茶番と化すフィクションではなく、コントロールからどんだけ遠ざかったとしても映画は持 ちこたえうるのか?そういったことを、今の空気の中から生まれ、見られるべき活劇フィクションだというかたちで提示できないだろうかと思ったのです。で は、現在見るべきフィクションとはどんなものか? そこには、原子核が持つ、とある属性のひとつ、逸脱(クリナメン)──というサブテキスト的なキーワードがヒントになりました。今、映画でどこまで自由な 活劇が作れるのだろう? そして、それをみんなで作ろうという気持ちが、完成までの意欲につながりました。