やさしい映画の作り方

『ジョギング渡り鳥』プロダクション・ノート

佐野真規 (助監督/映画美学校アクターズ・コース第1期TA)


 2011年の5月、映画美学校のアクターズ・コース第1期は始まった。東日本大震災の発生からわずか一か月とすこしの後、都内でも不安と戸惑いがまだ色濃くあるそんな時期に、その年からはじめて開講する映画学校のアクターズ・コースに人が集まるのかどうか。開講されるのかどうかも分からなかった。
 鈴木卓爾監督の『ジョギング渡り鳥』は、そんなアクターズ・コース第1期のなかで、講義で行なう撮影実習が切っ掛けになって始まった。筆者はアクターズ・コース第1期のアシスタントとして、また『ジョギング渡り鳥』の現場では助監督を務めたその立場から、映画の製作を巡って、4年前からを振り返ってみよう。


 「実習で、何かやりたい事はある?」と尋ねた鈴木卓爾に、小田篤(*1)が、「合宿して撮影がしたい」と囁いたことが始まりとなった。それに鈴木卓爾は乗った。はたして撮影前に監督がどこまで考えていたのか分からないが、結果は2時間37分の大作となって結実した。しかも、それは映画史の裂け目を広げて覗き込むように、彼方と此方を結んで境目をなくし、それでいながら改めて「映画の力」で見るものを優しく包み直すような、強靭な映画となって表れた。

 

 撮影はどのように進んだのだろうか。現場に入る前に鈴木卓爾はエチュードを繰り返し、人物の関係と物語の構成を作っていった。ただし、ゆるりとした荒い形で。もちろん構成する上での世界観やキーとなるセリフ、展開などはある程度練られているが、それを固定化したシナリオの形や、絵コンテの形には一切しなかった。通常の映画撮影においては、座組によって多少の違いはあるものの、現場に入る前にその日の撮影分量やカット数の目安などをシナリオや絵コンテから算出して、進行目安を作って現場を作っていく。技術スタッフ、制作スタッフが連携し、その日の撮影がスムースに進むように段取りを組み、移動や食事の手配なども計算に入れて動く。しかし、『ジョギング渡り鳥』の現場では一切そういう事をしなかった。


 「面倒くさいことをやろう。面倒くさいことがやりたいんです」


鈴木卓爾はそう言って、俳優もスタッフも区別をせずに、みんな一緒くたに映画の現場に呼び込んでいった。形だけの進行段取りは(一応)して出掛けていくものの、あくまでただの目安でしかない。現場へ移動する車両の手配も、合宿先での食事を作るのも、カチンコ(*2)を叩く演出部も、制作部のように現場の進行をサポートするのも、全て出演している俳優たちが行った。果てには劇中登場するモコモコ宇宙人たちのする録音、撮影も芝居と称して実際に俳優たちが行っている(*3)。もちろん撮影においては不安定な俳優たちの持つカメラだけではなく、撮影監督の中瀬慧が、何が起きてもそれを画面に呼び込もうとするようなどっしりした軸を置き、瑞々しくも客観的な視点を映画において作り上げている。


 こうした現場での試みは、一面には学校の実習であったという側面もあるだろうが、集団のコンビネーションとチームプレイ、一体感を呼び込むことに大きく作用し、もともと結束の強かった俳優たちの演技をさらに力強くさせた面があると思われる。加えて「面倒くさいことをやる」という声の真意は、「映画」を自分たちで新たに発見すること、既存のやり方ではなく自分たちで「映画」を構築すること、実はそこに狙いの一端がおかれていた。


 「映画って決まった作り方以外でも、作れると思うんですよ」


 鈴木卓爾はそうも言った。商業的に映画を作る当然のシステム―監督がいて、演出部・制作部・技術部・俳優部が別個に別れていて、それぞれにヒエラルキーがあり、きっちり役割分担のされた秩序だった組織を組んで行う、効率的で当たり前のもの―に則らなくても、映画は作れるのではないか。映画はまだ見ぬ作り方でも作れるのではないか。類人猿が一から石器を見出していくように、俳優たちと一緒に新しい映画も見いだされて行くのではないか。既存の映画を疑いながら映画史の裂け目を覗き込み、それでいて映画を信じ切っている監督の持つ、ある種の映画への探求と言える態度の表れと実験でもあった。

 

 無論、そのせいで現場が混乱することも数え切れず、俳優は通常の映画撮影であればしなくてよい苦労もすることになり、体力的にも技術的にも厳しかったはずである。それでも、画面に映る彼ら、彼女たちの姿は、ほんとうに生き生きとして見える。
  一方、そうした態度は撮影現場だけに留まらなかった。現場が終わった後も鈴木卓爾と俳優による模索は続いたのだ。通常の映画作品であれば、撮影後仕上げに向けて編集部が素材を受け取り、制作スタッフとスケジュールの確認をしてラッシュ、荒編、監督修正と進んでいく。だが、『ジョギング渡り鳥』では、そうした決まり事も一度ご破算にした。撮った素材の編集も俳優たちが自ら考えて試し、チームに分かれて複数のバージョンを提示して、試写を繰り返して意見交換を行い、選択していった。鈴木卓爾は仕上げにおいても、俳優と手間のかかるキャッチボールを何度も繰り返した。その上で作品の射程を伸ばすため、現場に関わっていない外部の視線として、編集に鈴木歓が加わって形が整えられていった(*4)

 

  画だけではなく音響についても、通常とは一味異なる方法論がとられた。通常、フォーリーと言われる映画上の動作音や足音は、仕上げ担当の音響効果担当らが音を作り、中立的で特徴のあまりない、色のついていない音を当てはめていく。だが、『ジョギング渡り鳥』ではここでも効率を求めない。非効率でも、俳優が自分たちで効果音の採録を行って、画面に映る自分たちに、自分が作った動作音を当てはめて映画に定着させていったのだった。俳優の動作音が、色彩を持って画面と共に響く。これらを音響の川口陽一がまとめて、映画の奥行に大きな貢献をしている。
 こうして『ジョギング渡り鳥』は出来上がっていった。

 

 完成間際、何度目かの試写を見た後、純子役の中川ゆかり(*5)と『ジョギング渡り鳥』について話していた時のことだ。

 

自分たちが出ているから、はっきりしたことは言えないけど、卓爾さんの映画『ジョギング渡り鳥』って、優しい―

 

 彼女は、こう評した。この言葉は撮影現場での鈴木卓爾監督の態度や、映画の作り方についてだけではない。出来上がった映画も見るものに開かれていること。一 見荒っぽい形をしていて、堺目を曖昧にするようでいながら、あくまでしっかり「映画」の側に立っていること。それでいて映画を見た感触として、ラストシーンの近く、カメラの向こう側に立つ監督本人が映り込むように、観客自身も、映画を一緒に見守るような眼差しを共有できるからではないだろうか。
  映画が優しい―私自身、幾つかの映画撮影の現場を経験しているが、これほど不思議で充実していて、優しく=面倒くさい現場に立ち会ったことはなかった。それでいて、参加している人たちがここまで楽しそうにしている現場もなかった。ドップリその現場の中にいた私に、もはや冷静な視線は持ち得ないであろうが、 鈴木卓爾監督の人柄もあり、保ち得ていた括目すべき運動であったことは間違いない。まったく効率的ではなく、作り方さえも模索をして、新たに「映画」を発見していった試みが『ジョギング渡り鳥』なのだ。


*1 『ジョギング渡り鳥』では主題歌も歌う海部路戸珍蔵。もちろんアクターズ・コースの生徒の一人。みんなで高尾山に登ろうと懇親会を企画したのもこの人なら、そこで鈴木卓爾に囁いたのもこの人。
*2 カチンコとは同時録音のために入れる目印の事。通常は演出部がカメラの前で「ヨーイ、スタート」の掛け声に合わせてさっと叩いてフレームから抜く。
*3 撮影は2013年1月に行った第一期撮影と2013年11月に行った第二期撮影に分かれている。第一期撮影には専門の録音技師はおらず、全て俳優たちが全部の録音を行っている。第二期撮影より音響の川口陽一、照明応援の玉川直人が参加した。
*4 鈴木歓によって現在の『ジョギング渡り鳥』の形ができあがったが、俳優たちが編集をおこなった形のまま残されているシーンが、今の完成版にもいくつか残っている。
*5 地絵流乃純子役、制作事務、さらには世界観構築サブテキストまでこなした。